生(ナマ)のいのち

禅からのアドバイ
内山興正老師の言葉


またまたよい本に出逢いました。


なるほど
“深さ” やなぁ、って。



『 マッサラなナマのいのちを
誰でも根本事実として
生きているわけですが、
これをアタマで思う時には、
その場で「つかまれたもの」
(概念化されたもの)
として停滞してしまうということです。

「思われたナマ」は
もはや
「生きているナマ」ではないからです。

 「生きているナマ」は思い手放し、
手放ししている所にこそ初めてナマです。

坐禅はまさしくこの思い手放し、
手放しの姿勢なのです。 』




ここですわ。


いま、やから
すーっと入ってくる。
タイミングもよかった。



「生(ナマ)のいのち」



これからです