日々 将来のこと未来のことを考える

 

「たえず振子のように文明と自然を往復することで、人はおぞましき精神の汚濁や倦怠から解放され、新しい均衡のとれた人間へと変身することができる。」『森の生活』上岡克己

最近は図書館で過ごす時間が多くなった。 図書館の、微かに響く音や匂いがいい。 ここ数日間はソローやソローに関連した本を読んでいる。

 ソローは大学卒業後から死ぬまでの二五年間にわたって膨大な日記を書き綴った。その中には鳥や植物、渡り鳥の時期や当時の気象までことこまかく書きこんでいる。しかし気候が変われば、それこそ何の意味もなくなるのである。    それに伴って、自然の感化を受け、自らの倫理性や美意識が問い直されることはなくなるのだろう。だが考えてみれば、こうした人間の基本的美徳が失われること自体、最終的に文明の衰退につながることは必至である。それは太陽光発電でもバイオテクノロジーでも救えないことであることを肝に銘じなければならぬ。私たち文明の原点としての『森の生活』に繰り返し戻って、常に自らを完成させてゆかねばならぬのである。    これらの将来に希望があるとすれば、それはただ一つ、人間の理性の力しかない。 (中略)    人間の刻印を免れた神秘的世界は夜空だけしか残されていない。夜空の星々を見つめれば、ナチュラリストのジョン・バロウズの言うように、「自分が取るに足りぬ存在である」ことを悟らされる。マッキベンは「我々に必要なのは、人間とはかかわりのないものによる慰めなのである。」と述べて筆を擱く。彼は人類の英知にかすかな希望を繋ぎながらも、自然の終焉を前にして残された自然を静かに敬い、自然に殉じる決意を胸に、森の生活を続けるのである。『森の生活』上岡克己

 

いつも思うことがある。 なぜこんなにも明日香村で過ごしているとしっくりとくるのか。 それはアニミズムを信じているからなのだろうと思った。

甘樫丘や水落遺跡、伝飛鳥板蓋宮跡の石敷井戸で佇んでいるだけで、古代の人々の暮らしの様子が目に浮かんでくる。何時間もぼーっと佇む。こんな贅沢な時間はない。

最近、森に行きたくて仕方がない。

父が昔購入した東吉野村の土地を数年前から売ろうとしていたのだけれど、残しておきたいという気持ちが強くなってきている。

今は愛犬二頭と今いる土地で暮らすことが最優先なのですぐに実行に移すことはできないけれど、ゆくゆくは森で自給自足をしながら生活してゆきたいと思うようになった。

先ずは、今この歳にしかできないことをしてゆく。今までお世話になった方々への恩返しを懸命にさせていただく。その後、何年後になるかはわからないけれど、そのときに東吉野村でも生活できるように、今からこの土地で畑を手伝ったり自給自足ができる技術を教わり準備を進めてゆきたいと思う。

未来はどう変わるかわからない。

ただ、今はこう思う。

たえず振子のように文明と自然を往復することで、新しい均衡のとれた人間になることができるのなら、心静かに生きてゆけるのなら、私もそんな風に生きて、この生涯に幕を閉じたいと思う。

 

 

図書館から帰宅して近所を歩いた。 龍のような木があった。

IMG_3469 あぜ道にはタンポポが咲いていた。 春が来た。

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